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三種の神器は、多くの方がご存じでしょう。
鏡・勾玉・剣。
天皇家に受け継がれる、日本の象徴です。
けれど──
その三種の神器と並ぶように、もう一つ「十の宝」が古代日本に伝わっていたことは、あまり知られていません。
その名を 十種神宝(とくさのかんだから) といいます。
天孫降臨の物語の裏側で、もう一つの系譜が地上に降ろしていた宝。
そして、死者すら蘇らせると伝わる「布瑠の言(ふるのこと)」。
実は私の実家は、神社神道とは少し系統の違う 神道大教(しんとうたいきょう) という流れを汲む神社です。
幼い頃、私はこの神事を見るたびに、少し怖いと感じていました。
祝詞が長く低く響き、
祖父が小幣を
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」と唱えながら振る。
薄暗い拝殿に響く声と、宝が空気を切る音。
その迫力に、幼い自分はただ息をひそめていたのです。
けれど神職になり、大人になってから改めてこの祓えを行うようになると──
胸の奥にモヤモヤと溜まっていた感情が、ゆっくりほどけていく感覚がありました。
一時期は、自宅の神棚の前で毎朝のように、この祓えを唱えていた頃もあります。
そんな個人的な体験もあって、私は十種神宝という存在について、もっと深く知りたいとずっと思ってきました。
この記事でお伝えすること
- 十種神宝とは何か
- 十の宝それぞれに込められた意味
- 「布瑠の言」に伝わる再生の祈り
- 大国主の試練と比礼の意外なつながり
- 物部氏とニギハヤヒとの関係
- 今も神事を体験できる神社と方法
- 宗派・地域によって異なる読み方
- 日常でできる祓えの実践法
この記事では、
を、元神職の視点でお伝えしていきます。
読み終わる頃には、きっと「日本にはこんな祈りのかたちもあったのか」と、ひとつ深呼吸したくなるはずです。
十種神宝とは何か|天から授けられた「十の宝」

十種神宝とは、
天孫降臨に先んじて地上に降りたとされる ニギハヤヒノミコト(饒速日命) が、天津御祖神(あまつみおやのかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ)から授けられたと伝わる十の宝物のことです。
出典は主に 『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』。
古事記・日本書紀ではなく、平安時代初期に成立したとされる、物部氏の系譜を伝える古文献に記されています。
「宝」といっても、金銀財宝ではありません。
それぞれが自然の力・生命の働き・魂の再生を象徴する、祈りの道具でした。
そしてこの十種は、後に 石上神宮(いそのかみじんぐう) に伝わり、物部氏によって守られていくことになります。
👉 石上神宮は奈良県天理市にある、日本最古級のお社。
布留(ふる)の地に鎮まる、ニギハヤヒとその宝の記憶が息づく場所です。
十種神宝、その一つひとつの意味
十種神宝は、大きく三つのグループに分かれます。
| 分類 | 名称 | 象徴する働き |
|---|---|---|
| 鏡 | 沖津鏡(おきつかがみ) | 遠くを見通す力 |
| 鏡 | 辺津鏡(へつかがみ) | 今ここを見つめる力 |
| 剣 | 八握剣(やつかのつるぎ) | 迷いを断ち、決める力 |
| 玉 | 生玉(いくたま) | 生きる力 |
| 玉 | 死返玉(まかるがえしのたま) | 命を呼び戻す力 |
| 玉 | 足玉(たるたま) | 満ち足りる力 |
| 玉 | 道返玉(ちがえしのたま) | 本来の道に戻る力 |
| 比礼 | 蛇比礼(おろちのひれ) | 蛇の災いを祓う |
| 比礼 | 蜂比礼(はちのひれ) | 蜂の災いを祓う |
| 比礼 | 品物之比礼(くさぐさのもののひれ) | あらゆる災いを祓う |
一つずつ、その意味をたどってみましょう。
■ 鏡(かがみ)二種
沖津鏡(おきつかがみ) ── 沖=遠くの海。
遠くを映し、遠くを見通す鏡。
「先を見通す力」の象徴です。
辺津鏡(へつかがみ) ── 辺=岸辺・身近な場所。
自分の足元を映し、日々を見つめる鏡。
「今ここを見つめる力」の象徴です。
👉 遠くと近く。未来と現在。
この二つの視点を持つことが、生きるうえでどれほど大切か──
神職として朝夕の御鏡を拝するたび、私はそのことを思い返していました。
■ 剣(つるぎ)一種
八握剣(やつかのつるぎ)
邪気を祓い、自分の中の迷いを断ち切る剣。
戦うためではなく、「決める」ための剣です。
■ 玉(たま)四種
生玉(いくたま) ── 生きる力・命の玉。
死返玉(まかるがえしのたま) ── 死せるものを呼び戻す玉。
足玉(たるたま) ── 満ち足りることをもたらす玉。
道返玉(ちがえしのたま) ── 道を外れた者を、本来の道に戻す玉。
👉 玉は「たましい」の語源とも言われます。
四つの玉は、命そのものの流れ──「生きる・戻る・満ちる・正す」を表しているようにも読めます。
■ 比礼(ひれ)三種
比礼とは、古代の女性が肩にかけた薄い布のこと。
振ることで力を呼び起こす、祈りの道具でした。
蛇比礼(おろちのひれ) ── 蛇の災いを祓う布。
蜂比礼(はちのひれ) ── 蜂の災いを祓う布。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ) ── あらゆる災いを祓う布。
比礼と、大国主の試練|古事記の物語とつながる十種神宝
ここで、ひとつ気づかされることがあります。
古事記の中で、
大国主命が須佐之男命から与えられた試練の場面を、覚えていらっしゃるでしょうか。
蛇がうごめく部屋に閉じ込められた夜。
蜂とムカデが飛び交う部屋に押し込められた夜。
そのとき大国主を救ったのは、須佐之男命の娘 須勢理毘売(スセリビメ) が授けた 一枚の布 でした。
彼女はこう伝えます。
「この布を三度振ってから、身を横たえなさい」

すると蛇も、蜂もムカデも、大国主に手を出せなくなった──。
この「振れば災いを退ける布」。
これは、十種神宝の中の 蛇比礼・蜂比礼 と、驚くほど響き合う存在です。
十種神宝の三つの比礼は、
「蛇」「蜂」「あらゆるもの」という順で災いに対応しています。
大国主の試練で登場するのも、
「蛇」「蜂とムカデ」──ほぼ同じ並びなのです。
古事記の物語と、物部氏に伝わる十の宝。
系譜も伝承ルートも違うはずの二つが、
「振ることで災いを祓う布」という同じ思想でつながっている。
👉 これは偶然でしょうか。
私は、古代の日本人の中に共通する、
「布を振る=場を清める・自分を守る」 という感覚の原型があったのではないかと感じています。
大国主の物語も、十種神宝も、
そのひとつの記憶を、それぞれのかたちで語り継いでいるのかもしれません。
「布瑠の言」──死者すら蘇らせると伝わる祈りの言葉
十種神宝の中でも、特に神秘的に語られてきたのが、この宝を用いる 「布瑠の言(ふるのこと)」 です。
もっとも一般に知られている読み方は、こうです。
一二三四五六七八九十
(ひとふたみよいつむななやここのたり)
布瑠部由良由良止布瑠部
(ふるべゆらゆらとふるべ)
これを唱えながら十種神宝を振ると、
死せる者さえも蘇ると『先代旧事本紀』は伝えます。
■ 宗派・地域によって読み方は違う
ここで、ひとつ大切なことをお伝えしておきたいと思います。
実は「布瑠の言」の読み方や唱え方は、
宗派・系統・地域によって少しずつ異なります。
私の実家の神道大教で用いる読み方も、上の一般的な読みとは少し違っています。
宗派・系統によって異なる主な点
- 「ひと・ふた・み・よ……」の区切り方
- 「布瑠部」を「ふるへ」と読むか「ふるべ」と読むか
- 「由良由良」を「ゆらゆら」と伸ばすか、短く切るか
- 数の後に神名を挟むかどうか
こうした点に、それぞれの流れの色が出ます。
古神道系、教派神道系、修験系、
それぞれで祈りの型は少しずつ違い、
どれが「正しい」という話ではありません。
👉 大切なのは、
どの流れも、同じ「布瑠」という言葉の力を、それぞれの場所で守り続けてきたということ。
千年以上のあいだ、
言葉は口伝で受け継がれれば、少しずつ姿を変えていきます。
その揺らぎこそが、
日本の祈りが「生きたまま」続いてきた証なのだと、私は感じています。
■ 私はこの言葉をこう受け止めている
私はこの言葉を、こんなふうに受け止めています。
「一から十まで数える」= 世界を一度、はじめから数え直すこと。
「ゆらゆらと振る」= 固まった心や流れを、もう一度動かすこと。
人生には、心が止まってしまう瞬間があります。
失敗、別れ、挫折。
時間が凍りついたように、動けなくなる時。
そんなとき、
一・二・三──と数えなおす。
体をゆっくり揺らす。
それだけで、止まっていた何かが、また動き出す。
布瑠の言とは、そういう 「再びはじめる」ための祈りの言葉 なのではないか。
神職を辞め、五十を過ぎてから未経験の仕事に飛び込んだとき、私は自分の中で何度もこの数え直しをしていた気がします。
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「祓え」と「鎮魂」──二つの働きを持つ十種神宝
十種神宝を語るうえで、もう一つ知っておきたい言葉があります。
それが 「鎮魂(みたましずめ)」 です。
祓え ── 外側から入ってきた穢れや災いを、洗い流す働き
鎮魂 ── 揺れ動く自分の魂を、身体の内に鎮め直す働き
十種神宝は、この両方の働きを持つと伝えられています。
「ふるべ、ゆらゆらと」と振る動きは、
災いを祓うと同時に、
散りかけた魂を、身体の中に呼び戻す所作でもあるのです。
物部氏が伝えた 鎮魂祭(ちんこんさい) は、
今も宮中や一部の神社で受け継がれる、この魂を鎮めるための神事です。
👉 「祓う」と「鎮める」。
外を清め、内を整える。
その両方があってはじめて、人は本来の自分に戻れる──
古代の人はそう考えていたのだと思います。
十種神宝を守った物部氏とニギハヤヒ
十種神宝を語るうえで欠かせないのが、物部氏(もののべし) と、その祖神 ニギハヤヒノミコト の存在です。
天孫降臨で邇邇芸命が九州の高千穂に降りたよりも前──
ニギハヤヒは、大和の地に降臨していたと『先代旧事本紀』は伝えます。
つまり、日本には 「二つの天孫降臨」 の記憶があるのです。
邇邇芸命の系譜 → 天皇家(三種の神器を受け継ぐ)
ニギハヤヒの系譜 → 物部氏(十種神宝を受け継ぐ)
やがて神武東征のとき、ニギハヤヒは神武天皇に帰順し、大和の地は一つに統合されていきます。
けれど、
物部氏は十種神宝を石上神宮に納め、その祈りの記憶を守り続けました。
👉 表の三種の神器と、裏で伝えられてきた十種神宝。
この二重構造こそ、日本という国の懐の深さを表しているように、私は感じます。
十種神宝の神事を、今も体験できる場所
「十種神宝は今も残っているのか」
「実際にその祈りに触れることはできるのか」
これは私自身が長年抱いてきた問いでもあります。
十種神宝を用いた祓えや鎮魂の神事は、
今でも一部の神社・団体で続けられています。
代表的な場所を、以下にまとめます。
| 神社・団体 | 所在地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 石上神宮 | 奈良県天理市 | 十種神宝の総本源。布瑠の言を記した神拝詞を授与 |
| 神道大教 本院 | 東京都港区芝 | 教派神道十三派の一つ。十種神宝の祓えを継承 |
| 物部神社 | 島根県大田市 | 石見国一宮。ウマシマジを祀り鎮魂祭を斎行 |
| 石切劔箭神社 | 大阪府東大阪市 | 通称「石切さん」。物部氏ゆかり、ニギハヤヒを祀る |
■ 石上神宮(いそのかみじんぐう)/奈良県天理市

十種神宝の総本源ともいうべきお社。
「布留の御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」として、十種神宝そのものが御神体とされています。
授与所では、
布瑠の言が記された神拝詞(しんぱいし) をいただくことができます。
朝拝に参列すれば、実際に唱和することも可能です。
境内には、神使とされる鶏(にわとり)が放し飼いにされ、
澄んだ鳴き声が朝の空気を裂いていきます。
禁足地の前に立つと、
言葉にできない厚みのある静けさが、地面から立ちのぼってくるようでした。
👉 十種神宝の祈りにもっとも近づける場所は、やはりここ石上神宮です。
■ 神道大教(しんとうたいきょう)/東京・芝を本院とする教派神道
私の実家の系譜でもある神道大教は、
明治15年(1882年)に設立された 教派神道十三派 のひとつです。
一般的な神社神道(神社本庁系)とは組織も祈りの型も異なり、
古神道の要素を色濃く残しています。
祝詞に 「ひふみ祓詞」 を用い、
十種神宝を象徴的に振りながら祓えを行うのが特徴です。
本院は東京都港区芝にあり、全国に所属神社・教会が点在しています。
一般の方でも、事前に問い合わせれば、祓えの神事を体験できる場合があります。
私自身、子どもの頃はこの祓えの迫力に少し怖さを感じていましたが、
大人になって受けてみると、心の奥にわだかまっていた感情が、
ゆっくりとほどけていく感覚がありました。
■ 物部神社(もののべじんじゃ)/島根県大田市

物部氏の祖神ウマシマジノミコト(ニギハヤヒの子)を祀る、石見国一宮。
十種神宝に由来する 鎮魂祭(ちんこんさい) が今も行われており、
布瑠の言の系譜を伝える、貴重な場所です。
毎年11月の鎮魂祭は一般参列も可能です。
■ 石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)/大阪府東大阪市

「石切さん」の名で親しまれる、物部氏ゆかりのお社。
ニギハヤヒとその子ウマシマジを祀り、
十種神宝にちなむ神事や、独自の授与品が受け継がれています。
一般の方が、日常でできる十種神宝の祓え
「神社に行かないと体験できないのか」
「自分でも唱えていいものなのか」
そう感じている方も、多いのではないでしょうか。
答えは、「大丈夫です。むしろ日常こそふさわしい場所です」。
十種神宝の祈りは、本来とても素朴なものでした。
特別な祭具がなくても、
言葉と、心の向きさえあれば、行うことができます。
実践方法① 布瑠の言を唱える
ひと・ふた・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・たり
ふるべ ゆらゆらと ふるべ
三回ゆっくり唱えるだけで、呼吸が深くなり、胸のあたりがふっと軽くなる方が多いはずです。
■ 実践方法② 十の宝を一つずつ奏上する
私が実家で祓えを行う中で気づいたのは、
十種神宝の名前を、一つずつ声に出して唱える ということにも、
布瑠の言と同じくらい深い効果があるということです。
こんなふうに唱えます。
十の宝を一つずつ、声に出して唱える
- 沖津鏡(おきつかがみ)
- 辺津鏡(へつかがみ)
- 八握剣(やつかのつるぎ)
- 生玉(いくたま)
- 死返玉(まかるがえしのたま)
- 足玉(たるたま)
- 道返玉(ちがえしのたま)
- 蛇比礼(おろちのひれ)
- 蜂比礼(はちのひれ)
- 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
一つひとつの宝の名を、
ゆっくり、一呼吸ずつ置きながら唱えます。
すると、
「今日は何度言っても、”死返玉” のところで胸が詰まるな」
「”足玉” と口にすると、少し安心した気持ちになる」
──そんなふうに、
自分の心の状態が、宝の名を通して見えてくるのです。
十の宝は、
祓いの道具であると同時に、
自分の内側を映す、十枚の鏡 でもあります。
👉 布瑠の言と、十の宝の名を、両方唱えてみる。
それだけで、十種神宝の祓えの本質に、驚くほど近づけると思います。
■ 実践方法③ 手を軽く振る
比礼を持たなくても構いません。
唱えながら、両手を胸の前で軽くゆらゆらと振ってみる。
たったこれだけで、
「振ることで祓う」という古代の身体感覚が、少し目覚めてきます。
十種神宝が、現代の私たちに教えてくれること
十種神宝は、遠い神話の話に聞こえるかもしれません。
けれど、そこに込められた意味は、今も驚くほど私たちの日常に響きます。
- 沖津鏡・辺津鏡 → 遠くを見る目と、足元を見る目
- 八握剣 → 迷いを断ち、決める力
- 四つの玉 → 生きる・戻る・満ちる・正す、命の循環
- 三つの比礼 → 災いを振り払う所作の力
- 布瑠の言 → 止まった心を、もう一度動かす祈り
これらはすべて、
「人生をもう一度はじめるための道具」 として読み直すことができます。
私自身、五十代で神職を離れ、動画編集という新しい世界に飛び込んだとき、
自分の中で何度も何度も「一・二・三……」と数え直しました。
失敗して、止まって、また揺らして、動き出す。
人が何度でも立ち上がれるという約束。
まとめ|十の宝は、あなたの中にも眠っている
十種神宝とは、遠い神話に閉じ込められた宝物ではありません。
遠くを見る目。
足元を見る目。
迷いを断つ勇気。
命を巡らせる力。
災いを振り払う所作。
そして、もう一度はじめる祈り。
──これらはすべて、私たち一人ひとりの中に、もともと備わっているものです。
日々のなかで、少し立ち止まってみてください。
朝起きたとき、鏡に映った自分の顔をよく見てみる。
迷ったときは、一・二・三……と数えてみる。
気持ちが固まったら、体をゆっくり揺らしてみる。
そして、十の宝の名を、ひとつずつ声に出してみる。
それだけで、
十種神宝はきっと、あなたの中で息をはじめます。
宗派によって、地域によって、
言葉の読みも、振り方も、少しずつ違います。
けれどその違いは、
祈りが「生きている」証でもあります。
あなた自身の呼吸で、あなた自身のリズムで唱えていい。
それが、古代から続く布瑠の祈りの、本来のかたちなのです。
もし奈良を訪れる機会があれば、
ぜひ石上神宮の鎮守の森を歩いてみてください。
樹々のざわめきの中に、
一・二・三と、数え直す音が聞こえてくるかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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