そう思っている方は多いかもしれません。
たしかに、彼は日本神話の中でも、とても華やかな存在です。
敵を討ち、国を平らげ、草薙剣をふるう。
けれど、物語を丁寧に追っていくと、見えてくるのは”強さ”だけではありません。
父に認められたい気持ち。
役目を果たし続ける苦しさ。
愛する人との別れ。
そして、最後まで休めなかった一人の人間の姿です。
私は神社に奉職していた頃、神話は「昔の話」ではなく、今を生きる人の心を映す鏡のようなものだと感じていました。
「期待に応えようとして無理をしてしまう人」
「使命感が強いほど、弱音を吐けなくなる人」
の姿が重なります。
その孤独は、今を生きる私たちの日常と、驚くほど重なっています。
なお、古事記と日本書紀では細部に違いがあります。古事記は物語の感情や神話的な表現が豊かで、日本書紀はより歴史書に近い記述をとります。この記事では主に古事記の流れを軸にしつつ、日本書紀や各地の伝承も交えながら読み進めていきます。
本記事は、日本神話を人生に照らして読み解くシリーズの一篇です。

- ヤマトタケルとは何者か――神話の英雄が生きた時代
- ヤマトタケル神話の出発点――兄を殺めた皇子
- 熊襲征伐――女装して敵を討つという異色の神話
- 出雲での謀略――力だけではなく、知で制する
- 東国遠征――なぜ彼は休ませてもらえなかったのか
- 倭比売命から授かった草薙剣――伊勢神宮と旅する使命の女神
- 相模の野火――草薙剣の名が生まれた瞬間
- 走水の海と弟橘媛――愛する者が波を鎮める物語
- 尾張での婚姻と草薙剣を置いていったことの意味
- 伊吹山の神との対峙――英雄の限界があらわになる
- 能褒野での最期――”大和は国のまほろば”に込められた思い
- 白鳥になって飛び立った――死後も旅を続ける魂
- 松が生えた伝承――亡き人をしのぶ風景が神話になる
- ヤマトタケルを祀る神社とゆかりの地
- ヤマトタケル神話が今の私たちに伝えること
- まとめ――ヤマトタケルは、強い人の悲しみまで描いた神話
ヤマトタケルとは何者か――神話の英雄が生きた時代
- 古事記:倭建命(やまとたけるのみこと)
- 日本書紀:日本武尊(やまとたけるのみこと)
- 本名:小碓命(おうすのみこと)
- 父:第12代・景行天皇
ヤマトタケルは、第12代・景行天皇の皇子です。
古事記では「倭建命(やまとたけるのみこと)」、
日本書紀では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」と記されます。
この表記の違いは、単なる漢字の差ではありません。
日本書紀の「武尊」は、後世的な英雄像をより強調した表現ともいえます。
同じ人物を、二つの書物が少しずつ異なる角度で描いている。それも神話の奥深さです。
もともとの名は、小碓命(おうすのみこと)。
双子、または兄弟として大碓命(おおうすのみこと)がいたとされます。
「ヤマトタケル」という名は、生まれたときの名前ではありません。
熊襲の勇者を討ったあとに、その強さを認められ、
“ヤマトの猛き者”というような意味を持つ名で呼ばれるようになります。
ここがまず、おもしろいところです。
過酷な出来事の中で、その名を与えられていく。
それって、すごいことでは?
同時に、少し切ないことでもあります。
名前は誉れです。
でも、ときに名前は、その人が降ろせなくなった役割にもなります。
ヤマトタケルが生きた時代
ヤマトタケルの父・景行天皇は第12代。
伝承上の年代については諸説あり、神話と歴史の境目は明確ではありません。
重要なのは「いつの人か」よりも、「どんな時代の空気の中に生きたか」かもしれません。
ヤマトタケルが活躍したとされる時代は、大和朝廷がまだ国内を統合しきれておらず、各地に独自の力を持つ豪族や、従わない神々が点在していた頃です。
英雄が必要とされた、そういう時代でした。
その時代の緊張感の中に、ヤマトタケルの物語は置かれています。
ヤマトタケル神話の出発点――兄を殺めた皇子
ヤマトタケルの物語で、最初に読む人が驚くのはここかもしれません。
弟の小碓命に「言い聞かせてこい」と命じます。
ところが古事記では、小碓命は兄をつかまえ、手足をもぎ、むしろに包んで捨てたと語られます。
これを聞いた景行天皇は
震え上がり、
「この子はあまりに猛々しい」と恐れました。
その結果、小碓命は遠くの危険な地へと派遣されていく。
つまり、熊襲征伐です。
ここには、単純な武勇伝では片づけられない、親子の距離があります。
父に認められたかったのか。
それとも、父の命令に逆らえなかったのか。
あるいは、力の扱い方をまだ知らなかったのか。
神話はそこを説明しません。
でも、説明しないからこそ、読む側の心が動きます。
「強い人ほど、最初に”わかってもらえなかった経験”を持つのかもしれない」
と感じます。
能力がある人ほど、
「すごいね」で終わってしまって、
本当の不安や未熟さを見てもらえないことがある。
ヤマトタケルの孤独は、すでにここから始まっていたのかもしれません。

熊襲征伐――女装して敵を討つという異色の神話
父の命で、西国の熊襲を討つために向かった小碓命。
ここで一気に、ヤマトタケル神話らしい鮮烈さが出てきます。
正面から戦えば危険だと見た小碓命は、宴の場に女装して入り込みます。
叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から与えられた衣をまとい、女の姿に身をやつして。
相手が油断した隙に懐へ入り、短剣で討ち取る。
まるで戦の英雄譚というより、緊張感のある劇を見ているようです。
「西に我より強い者はいなかった。だが今日は、我より強い者がいた。これからはお前を倭建と呼ぼう」
敵から名を与えられる。
これも印象深い場面です。
ただ勝っただけではない。
相手が最期に、その力を認めた。
でも同時に、ここにも複雑さがあります。
女装という変身。
正面突破ではない戦い方。
若さゆえの危うさと、機転の鋭さ。
ヤマトタケルは、ただ豪快な武人ではありません。
状況を読み、姿を変え、役割を演じる人でもあった。
なお、熊襲征伐は古代の政治的統合の記憶でもあります。
残酷に見える場面も、当時の朝廷と地方勢力のせめぎあいという文脈の中に置かれています。
きれいごとだけでは通れない場面がある。
でも、そのたびに自分を演じ続けると、
本当の自分がどこにいるのかわからなくなることもある。
ヤマトタケルの物語は、そこにも触れているように思います。
出雲での謀略――力だけではなく、知で制する
熊襲を平定したあと、ヤマトタケルはさらに各地へ向かいます。
その一つが出雲です。
木で偽の刀を作り、友人のように近づく。
川で水浴びをしたあと、刀を交換しようと持ちかけ、相手が偽の刀を抜けずにいるあいだに討つ。
「英雄なのに、そんなやり方をするのか」と感じる人もいるでしょう。
でも私は、そこに神話の生々しさを見るのです。
迷いもあれば、ずるさのように見える振る舞いもある。
それでも物語は、その人を消しません。
きれいな理想像にしない。
人間の複雑さごと残している。
ここに、日本神話の深さがあります。
出雲という土地は、後の時代に大国主命の舞台として語り継がれ、
縁結びや人生の転機と深く結びついていきます。
ヤマトタケルの通過が、その一つの節目でもあったのかもしれません。
また、荒御魂と和御魂という考え方があります。
この頃のヤマトタケルは、まさに荒御魂の側面が前面に出た姿です。
激しく、鋭く、止まらない。
その力が、旅を重ねるごとにどう変わっていくか。
物語の後半と読み比べると、その変化がより深く感じられます。
激しく、鋭く、止まらない。
物語の後半と読み比べると、その変化がより深く感じられます。
👉 荒御魂と和御魂の考え方については、「荒御魂と和御魂とは?」の記事でも詳しく触れています。
出雲という土地は、後の時代に大国主命の舞台として語り継がれ、縁結びや人生の転機と深く結びついていきます。
東国遠征――なぜ彼は休ませてもらえなかったのか
熊襲も出雲も平定した。
ならば、ようやく安らげるのか。
そう思いたくなります。
けれど、ヤマトタケルには次の命が下ります。
今度は東国遠征です。
ここが、彼の人生でもっとも胸に迫るところです。
認められても、休めない。
現代にもよく似た構図があります。
期待される人ほど、次の仕事が来る。
頼られる人ほど、断れなくなる。
周囲から見れば「活躍している人」でも、本人の心はすり減っていく。
景行天皇が息子をどう見ていたのか。
本当に信頼していたのか。
それとも恐れながら使っていたのか。
神話は断定しません。
ですが、その曖昧さがかえって、親子というものの難しさを感じさせます。
「使命は人を育てるが、同時に追い詰めもする」
と思います。
役目は尊い。
けれど、役目だけで人は生きられません。

倭比売命から授かった草薙剣――伊勢神宮と旅する使命の女神
東国へ向かう途中、ヤマトタケルは伊勢を訪れます。
そこにいたのが、倭比売命(やまとひめのみこと)です。
倭比売命は、天照大御神の御杖代(みつえしろ)として各地を旅した神です。
御杖代とは、神様の御心を体現し、その意志を地上に伝える役割のこと。
倭比売命は天照大御神のご神意を受けて、「どこにお鎮まりいただくか」を探し続けました。
大和・丹波・近江など、各地を長い年月をかけて巡り歩いた末に、
「この地は常世の浪の重波がよせる、とてもよい土地だ」と伊勢の地を定めた。
- 天照大御神の御杖代(みつえしろ)として各地を旅した神
- 長い巡幸の末に伊勢の地を定めた
- 伊勢神宮内宮のすぐそばに倭姫宮(やまとひめのみや)として祀られている
その倭比売命が関わった伊勢神宮の内宮のすぐそばには、今も倭姫宮(やまとひめのみや)が静かに建っています。
参拝者が内宮を訪れるとき、その傍らに倭比売命を祀る宮があることを知っている人は、意外と少ないかもしれません。
👉 伊勢神宮のご鎮座の由来については、「伊勢神宮とは何か?」の記事でも詳しく触れています。
やはり旅を続けるヤマトタケルに剣を授けた。
同じ「旅する者」同士の、言葉にならない共鳴があったのではないか。
私はこの場面を読むたびに、そんな気がしてなりません。
その倭比売命が授けたのが、
草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打石の入った袋です。
つまりヤマトタケルは、ただ武器を渡されたのではありません。
神話の流れそのものを背負うような剣を託されたのです。
それって、ものすごく重いことです。
剣は力の象徴です。
でも同時に、託されたものの重さでもある。
「受け取る」ということは、単に得ることではなく、引き受けることなのだと感じてきました。
草薙剣も、きっとそうです。
それは万能の力ではない。
むしろ、使う者に覚悟を求めるものだったのではないでしょうか。

相模の野火――草薙剣の名が生まれた瞬間
ヤマトタケル神話の中でも、とくに有名なのがこの場面です。
東国へ向かったヤマトタケルは、相模国で国造にだまされます。
逃げ場を失うヤマトタケル。
絶体絶命です。
そこで彼は、倭比売命から授かった剣で草を薙ぎ払い、
さらに火打石で向かい火をつけて、炎の勢いを変えます。
また、難を逃れたその地は焼津(やいづ)と呼ばれるようになったとも伝えられており、現在の静岡県焼津市にその地名が残っています。
ここは、ただの武勇伝として読むこともできます。
でも私は、この話にはもっと身近な響きがあると思っています。
人生にも、急に火が回るような時期があります。
誤解。
仕事の圧力。
人間関係の悪化。
何かに囲まれて、身動きが取れなくなる。
そんなとき、大事なのは力任せではなく、
「火の流れを読むこと」なのかもしれません。
目の前の混乱を、いきなり根絶するのではなく、まずは足元を切り開く。
一歩分の道をつくる。
全部を消そうとするのではなく、風向きを見て、自分の立ち位置を変える。
その知恵が、生き残る力になる。
現代の私たちにも必要なのは、そういう力ではないでしょうか。

走水の海と弟橘媛――愛する者が波を鎮める物語
東国遠征の中でも、ひときわ切ないのが弟橘媛(おとたちばなひめ)の場面です。
そのとき弟橘媛は、夫のために海へ身を投じます。
自らをささげることで波を鎮め、船を進ませたのです。
自己犠牲として読むと、苦しさもあります。
美談として受け取るかどうかは、読む人それぞれに委ねたいと思います。
神話は必ずしも「こうあるべき」を教えるものではありません。
「人は大切な誰かのために、ここまでしてしまうことがある」
という極限の感情を残しているのだと思います。
弟橘媛は、ただ従う存在として描かれるだけではありません。
各地の伝承では、彼女の和歌や、残された櫛、着物、袖などが流れ着いた話もあります。
千葉や神奈川、東京湾沿岸には、彼女をしのぶ地名や神社が点在しています。
有名なのが、神奈川県横須賀市の走水神社。
ここではヤマトタケルと弟橘媛がともに祀られています。
海を前に立つと、私はよく思います。
人は自然には勝てない。
けれど、自然の前で誰かを思う心は、古代から変わっていないのだと。
弟橘媛の物語は、強さの神話であるヤマトタケルの中に、
守られる側の痛みと、残される側の喪失を置いています。
英雄の旅は、本人だけでは成り立たない。
その陰には、語り尽くせない別れがある。
そこも、見落としたくないところです。
その後、足柄山の坂を越えたとき、ヤマトタケルは嘆いてこう言ったと伝えられます。
「あづまはや(ああ、吾が妻よ)」
この一言が、「吾妻(あずま)」という地名の由来になったともいわれています。
英雄の言葉にしては、あまりに素直すぎる。
だからこそ、その悲しさが伝わってきます。
弟橘媛の祈りのような行為を思うとき、祈りとは特別な儀式ではなく、誰かへの思いを行動で示すことでもあるのだと、私は感じます。
尾張での婚姻と草薙剣を置いていったことの意味
彼女は尾張の豪族の娘とされます。
そのときヤマトタケルは、伊吹山へ向かう前に草薙剣を宮簀媛のもとへ置いていきます。
これが後の悲劇につながります。
油断があったのか。もう大丈夫だと思ったのか。
あるいは、旅の終わりが見えて、気が緩んだのか。
本当に危ないのは、修羅場の最中ではなく、
「もう平気だ」と思った瞬間だったりします。
草薙剣は、力の象徴でした。
でも、その力を手放したとき、彼は急に”ただの一人の人”に戻ったのかもしれません。
私はこの場面に、役割から少し降りた瞬間の脆さを感じます。
熱田神宮を訪れたとき、境内の森の静けさに驚いた記憶があります。
名古屋という大都市のただ中にありながら、あの空気の重さは別格でした。
草薙剣がここにある、と意識すると、その静けさの意味が少し違って感じられます。
力の象徴が、静かに鎮まっている。
英雄の旅の果てに、剣だけが残った。
そんな感覚に近いものが、あの森の空気にはあります。
宮簀媛という一人の女性が、失った人を思い、その形見の剣をお祀りし続けた。
そこから始まった場所だと知ると、熱田神宮はただの大きな神社ではなく、深い人の物語を宿した場所として感じられてくるはずです。

伊吹山の神との対峙――英雄の限界があらわになる
ヤマトタケル神話の終盤で重要なのが、伊吹山です。
現在の滋賀県と岐阜県の境にあるこの山は、古くから霊山として意識されてきました。
草薙剣を持たずに向かったことが災いしたとも、
山の神を軽んじたことが敗因だったとも伝えられます。
日本書紀では、白猪として現れた神を見て「あとで仕留めよう」と言ったことで神の怒りに触れ、氷雨や霧に苦しめられたとされます。
ここはとても大切です。
ヤマトタケルは強い。
けれど、自然の霊威そのものには勝てない。
山の神を、単なる敵として扱うことはできなかった。
この感覚は、日本神話全体にも流れています。
人は自然に挑むことはできる。
けれど、自然を完全に支配することはできない。
この場面を読むと、力の限界というより、
「人が立ち止まるべき場所」を示されているように感じます。
現代は、頑張れば何でもできる、という空気が強いです。
でも本当は、引くべき時もある。
自然の前で頭を下げる感覚は、敗北ではなく、むしろ成熟なのかもしれません。
能褒野での最期――”大和は国のまほろば”に込められた思い
伊吹山で傷ついたヤマトタケルは、弱りながら旅を続け、
ついに能褒野(のぼの)、現在の三重県亀山市付近で最期を迎えます。
このとき詠んだとされる歌が有名です。
たたなづく 青垣
山隠れる 倭しうるはし」
大和は、なんと美しい国なのだろう。
山々に囲まれた、すばらしい場所だ。
そんな思いがこもった歌です。
帰りたい場所の風景だった。
どれだけ遠くへ行っても、
人の心には「帰りたい場所」がある。
それは故郷かもしれない。
昔の自分かもしれない。
あるいは、無理をしなくてよかった頃の心かもしれません。
この歌は、愛国的な言葉としてだけではなく、
疲れ果てた人が最後に見つめた”安らぎの像”として読むと、ぐっと近くなります。
ようやく役目から解かれていく人の静けさを感じます。

白鳥になって飛び立った――死後も旅を続ける魂
ヤマトタケルの物語で、特に印象的なのが死後の場面です。
古事記では、能褒野から飛び立ち、河内を経て、さらに大和へも向かったとされ、白鳥がとどまった地には陵や社が営まれました。
このため、ヤマトタケルは各地で白鳥神社、白鳥陵などと結びついています。
一人の英雄の魂が、土地ごとに受け継がれていった。
そこに、神話がいかに人々の記憶の中で生き続けてきたかが感じられます。
白鳥になる。
なんとも美しく、そして切ない結末です。
ようやく空へ解き放たれていく。
そう読むこともできます。
白鳥は、日本文化の中で清らかさや異界性を感じさせる鳥です。
ただの鳥ではなく、魂の姿として語られることで、ヤマトタケルの物語は戦の英雄譚から、鎮魂の物語へと変わっていきます。
私はこの結末がとても好きです。
なぜなら、勝者として祀られるだけではなく、
傷つき、疲れ、飛び去っていった存在として記憶されているからです。
その奥の悲しみまで受けとめる。
そこに、日本文化の中で育まれてきた、やわらかなまなざしがあるように思います。
松が生えた伝承――亡き人をしのぶ風景が神話になる
ヤマトタケルには、白鳥伝説のほかにも、各地にさまざまな伝承があります。
その一つが、「松が生えた」という話です。
ヤマトタケルにゆかりの品、たとえば杖や箸、あるいは遺物を地に挿したところ、そこから松が生えた、と伝える例があります。
これは史実として確認するものというより、
人々がその土地の風景に、英雄の記憶を重ねてきた証でしょう。
木が生える。
それが、ただの植物ではなく、追慕のしるしになる。
私はこういう伝承に、日本文化の静かな美しさを感じます。
大声で「ここで奇跡が起きた」と言うのではなく、
風景の中に、そっと物語を残していく。
松は長寿や不変の象徴でもあります。
だからこそ、去っていった人の気配を宿す木として、ふさわしかったのかもしれません。
土地の木や石や地名の中にも生きている。
神社を訪れるときに感じる”言葉にしにくい何か”は、
こうした長い記憶の層から来ているのだと、私は思います。
ヤマトタケルを祀る神社とゆかりの地
ヤマトタケルをより身近に感じるなら、ゆかりの地を知ることも大切です。
物語と土地は、切り離せません。
代表的な場所を挙げると、次のようなものがあります。
| 神社・場所 | 所在地 | ゆかりの伝承 |
|---|---|---|
| 能褒野王塚古墳 | 三重県亀山市 | 最期の地。静かな鎮まりの気配 |
| 走水神社 | 神奈川県横須賀市 | 弟橘媛の入水伝承。二人を祀る |
| 熱田神宮 | 愛知県名古屋市 | 草薙剣を祀る。宮簀媛との物語 |
| 建部大社 | 滋賀県大津市 | 全国建部神社の総本社。再起・再生の縁 |
| 白鳥神社 | 愛媛県西条市 | 白鳥となった魂が飛来したと伝わる |
| 倭姫宮 | 三重県伊勢市 | 草薙剣を授けた倭比売命を祀る |
訪れた神社の記録を残しておくと、旅の記憶がより深くなります。
もし手元になければ、出発前に一冊用意しておくのもよいかもしれません。

御朱印帳 102ページ 蛇腹式 ビニールカバー付 京都 西陣織 七宝文様
能褒野王塚古墳周辺(三重県亀山市)
最期の地とされる場所です。
静かな空気の中に、物語の終わりではなく、鎮まっていく気配があります。
走水神社(神奈川県横須賀市)
弟橘媛の伝承と深く結びつく神社です。
海を前にすると、遠征の過酷さと、祈るような思いが重なってきます。
熱田神宮(愛知県名古屋市)
草薙剣を祀ることで知られます。
宮簀媛がお祀りしたことに始まるこの場所は、英雄の旅の記憶を静かに宿しています。
伊勢と並んで、日本人の心の拠り所を考える上でも大切な神社です。
建部大社(滋賀県大津市)
近江国一之宮であり、全国の建部神社の総本社です。
ヤマトタケルを主祭神とし、再起や再生を願う人との縁があるとも語られます。
琵琶湖のほとりに静かに立つ社で、伊吹山を望む位置にあります。
白鳥神社(愛媛県西条市)
白鳥となった魂が飛来したと伝わる社です。
同じ神話でも、土地によって受け止め方が少しずつ違うのが興味深いところです。
倭姫宮(三重県伊勢市)
伊勢神宮内宮のすぐそばに鎮座する宮です。
草薙剣をヤマトタケルに授けた倭比売命をお祀りしています。
内宮を参拝する際に、ここにも立ち寄ってみてください。
英雄に剣を授けた女神の静かな気配に、触れることができるかもしれません。
その土地で、どんな記憶が大切にされてきたかに触れる場所でもあります。
ヤマトタケルゆかりの社を訪ねると、
「強さとは何か」
「守るとは何か」
そんな問いが自然に浮かぶかもしれません。
古事記の現代語訳は、はじめての方でも読みやすい一冊です。
神話の言葉を自分のペースで読み返すことで、また違う発見があるかもしれません。

現代語訳 古事記 (岩波現代文庫)
ヤマトタケル神話が今の私たちに伝えること
では、ヤマトタケルの物語は、今を生きる私たちに何を伝えているのでしょうか。
私はこの神話を読み返すたびに、三つのことが心に残ります。
仕事ができる人。
責任感が強い人。
家族の期待を背負う人。
そういう人ほど、「助けて」が言いにくい。
ヤマトタケルの物語は、強い人にも限界があることを、静かに伝えているように思います。
日本文化の中で育まれてきた感覚の中には、
自然を敬う気持ちや、見えないつながりへの配慮が、確かに流れています。
それは古くさいことではなく、
むしろ生き急ぎやすい時代に必要な感覚かもしれません。
最後に彼が思い出したのは、大和でした。
人は前へ進むために、帰れる心の場所を必要としているのだと思います。
頑張ることをやめる必要はありません。
ただ、ひと息つける場所を持つこと。
それだけで、人は少し長く歩き続けられる気がします。
まとめ――ヤマトタケルは、強い人の悲しみまで描いた神話
- 英雄も、最初から英雄ではなかった
- 期待に応え続けることは、孤独になりやすい
- 自然の前では、立ち止まることが成熟になる
- 帰りたい場所を持つことが、人を支える
ヤマトタケルは、ただ敵を倒す英雄ではありません。
父に使われ、
各地を巡り、
愛する人を失い、
自然の前で限界を知り、
最後は白鳥となって去っていった。
その姿には、
“使命を背負う者の孤独”が刻まれています。
だからこの神話は、昔の武勇伝で終わりません。
頑張りすぎてしまう人。
期待に応えようとしてしまう人。
自分の弱さを見せにくい人。
そんな人ほど、ヤマトタケルの物語に、自分の一部を見るかもしれません。
傷つきながらも、自分の帰る場所を忘れないこと。
ただ、「あなたにも限界があっていい」と、静かに語りかけてくるように思います。
そして、もしこの物語を土地の空気とともに感じてみたくなったら、
熱田神宮や走水神社、能褒野の地、あるいは伊勢の倭姫宮を、ゆっくり訪ねてみてください。
神話は読むだけでなく、
その風景の中に立ったとき、ふいに自分の人生へ近づいてくることがあります。
・須佐之男命(スサノオ)とは?|草薙剣が生まれた物語
・大国主命とは?|出雲という土地の神
・伊勢神宮とは何か?|倭比売命が定めた地
・日本神話とは何か|古事記と日本書紀の全体像
・言霊とは何か?|「あづまはや」の言葉が地名になる意味
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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