毎日が同じことの繰り返しに思えるとき|宇迦之御魂神(ウカノミタマ)が教える、当たり前の暮らしの尊さ【元神職が解説】

ウカノミタマの神が教える ウカノミタマ

冬の朝、霜がおりた神社の参道に霧がかかる情景

「今日も、昨日と同じ一日だった。」

そんなふうに感じて、少し空しくなる夜はありませんか。

稲荷神社のご祭神、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)は、同じ食べ物の神様である保食神にある”強烈な場面”が、ほとんど出てこない神様です。
その違いに、毎日を続けていく私たちへのヒントがあります。

私は神職時代、毎朝、参道を掃いていました。
その日々と、この神様の姿が、不思議に重なっています。

「また同じ一日」という感覚は、どこから来るのでしょうか

朝起きて、仕事や家事をして、ご飯を食べて、眠る。 明日も、たぶん同じです。

特別な出来事がない日は、振り返ると何も残っていないように感じます。 SNSには誰かの新しい挑戦が流れてきて、自分だけが止まっているように思える日もあるでしょう。

その感覚を、神話の側から少し眺めてみたいと思います。

この記事でしか読めないこと

  • 宇迦之御魂神と保食神の「決定的な違い」
  • 霜の朝に竹箒で参道を掃いた、元神職の体験

宇迦之御魂神(ウカノミタマ)とは?稲荷神社のご祭神

宇迦之御魂神は、全国に数多くある稲荷神社の主祭神として祀られている、食べ物の神様です。

名前の「ウカ」は、食べ物を意味する古い言葉とされています。 「食べ物の御魂」という名前が、そのまま役割を表しています。

古事記と日本書紀では、記され方が少し違います。

出典表記記され方
古事記宇迦之御魂神須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)の御子
日本書紀倉稲魂命(うかのみたまのみこと)この名で登場する

「稲荷」の名は、稲が実る「稲生り」に由来するという説があります。

手柄の物語がない神様

朝の光に照らされた実りの稲穂と田んぼの風景

保食神には、月読命に斬られ、その身体から五穀が生まれるという、強い場面があります。

宇迦之御魂神には、そうした劇的な場面がほとんどありません。 怪物を倒す話も、国を譲る話もありません。

あるのは、米や食べ物が毎年実り、食卓に届くという、変わらない営みだけです。

目立つ物語を持たない神様が、これほど長く、全国で祀られてきました。 人々が願ったのは、派手な出来事ではなく、明日も食べるものがあることだったのだと思います。

霜の朝、竹箒で参道を掃いた日々

霜で白くなった参道に立てかけられた竹箒

ここで、私自身の話をさせてください。

神社では、毎朝、参道の掃き掃除をしていました。

冬の朝の境内は、日が昇り始めたばかりで薄暗く、霧がかかる日もありました。
外に出ると、体がブルっと震えるほどの寒さです。

竹箒を持って参道に立つと、地面には霜がおりて、白く固まっていました。
そんな朝も、掃除を続けていました。

はじめの頃は、正直なところ、面倒でした。
「今日はいいか」と思って、簡単に済ませてしまう日もありました。

それでも続けていると、いつのまにか「面倒だ」という気持ちがなくなっていました。
朝起きて歯を磨き、顔を洗うのと同じように、考えなくても体が動くようになったのです。

さらに続けていくと、また別のことが起こりました。
「もっときれいにしたい」「ほかにも掃くところはないだろうか」と、自分から探し始めたのです。

気づけば、かなり長い時間、掃除をしている朝が何度もありました。

誰かに褒められたわけではありません。
昨日と同じ道を、同じように掃いていただけです。

神社の世界は、繰り返しでできています

毎朝の日供(にっく)、毎日の掃除、毎月の月次祭、毎年の祭り。 伊勢神宮の神嘗祭は、その年の新しい稲を神様にお供えして、一年の実りに感謝する祭りです。毎年、同じように行われます。

神饌も、お供えの仕方が一つ一つ決まっていて、毎回、同じ手順で整えます。

朝の光が差し込む神社の境内と整えられた参道

神職は、それを「同じだから退屈だ」とは考えません。
同じことを同じように続けること自体が、場を整え続ける行為だからです。

伊勢神宮の常若にも、近い感覚があります。 同じ形を守り続けることで、いつも新しくあり続けるという考え方です。

掃き掃除も、そうでした。 昨日と同じ参道が、今日もきれいに迎えてくれる。 その当たり前は、誰かが毎朝掃いているから成り立っています。

今日の食卓にある、宇迦之御魂神の仕事

宇迦之御魂神が見守るのは、毎日の食べ物です。

湯気の立つ一膳のご飯と味噌汁が並ぶ夕食の食卓

今日、炊いたご飯が食べられるのは、誰かが昨日も田んぼに立っていたからです。 育てる人、運ぶ人、売る人、炊く人。 誰も目立たないまま、同じ仕事を毎日続けています。

そして私たち自身も、誰かの当たり前を、毎日少しずつ支えているのかもしれません。

もし今日、空しさを感じたら、夕食の一膳のご飯を、いつもより少しゆっくり見てみてください。 一粒の米に、昨日と今日をつないでいる人たちの時間が入っています。

まとめ

宇迦之御魂神は、手柄を立てる神様ではありません。 今日も明日も、食べ物が途切れないようにと、人々が願い続けてきた神様です。

霜の朝の掃き掃除も、私にとって同じでした。 面倒だった繰り返しが、いつのまにか、自分から手を伸ばしたくなる時間に変わっていました。

あなたの毎日の中に、いつのまにか自分で続けていることは、ありませんか。

朝の光の中に続く朱い鳥居の参道

次の週末、稲荷神社の朱い鳥居をくぐってみてください。 毎日の祈りが重なってきた場所で、一膳のご飯のことを、少しだけ思い出してみてはいかがでしょうか。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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