
会議室で、上司と部下、どちらの言い分もわかってしまう。
家では、親と配偶者、どちらの気持ちも無下にできない。
そういう場所に立つと、人は妙に疲れます。
自分の問題ではないのに、自分の問題より重く感じることさえあります。
実は、この状況に名前をつけてくれる神様が、日本の神話にたった一度だけ登場します。
古事記でさえ、その神様が「何を言ったのか」を書き残していません。
その空白にこそ、板挟みという状態への答えが隠れている——今日はそんな話をします。
板挟みになると、なぜこんなに疲れるのか
誰かと誰かの間に立つとき、人はたいてい「正しい方につかなければ」と考えます。
でも実際にその場に立ってみると、正しさなんてものは、そう簡単には見つかりません。
両方に理があり、両方に痛みがある。
そのどちらも切り捨てられないまま、時間だけが過ぎていく。
拝殿の前で、お互い一歩も譲らない二人を前にしたことがあります。
神職として、というより、たまたまその場に居合わせた人間として。
私に何ができるわけでもなく、ただそこに立っているしかない時間がありました。
どちらの言い分にもうなずける自分が、かえってもどかしかったのを覚えています。
裁くことは、簡単なようでいて、実は一番乱暴な解決の仕方かもしれません。
菊理媛神とは何者か──古事記に一度だけ現れる神
菊理媛神(ククリヒメノカミ)は、『日本書紀』の一書(あるふみ)にのみ、ほんの数行だけ登場する神様です。
『古事記』には、名前すら出てきません。
主な信仰の場は、石川県にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。
白山という霊峰そのものを御神体とし、菊理媛神はそこに祀られる神様として、古くから人々に大切にされてきました。
登場する場面は、たった一つです。
それが、伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)、夫婦神の最後の対立の場面でした。
黄泉比良坂の対立──夫婦神、最後の言い争い

『日本書紀』が伝える物語を、簡単になぞってみます。
亡くなった妻・伊邪那美命を追って、夫・伊邪那岐命は黄泉の国まで足を運びます。
けれど、そこで目にしたのは、変わり果てた妻の姿でした。
伊邪那岐命は恐れをなして逃げ出し、伊邪那美命はそれを「恥をかかせた」と怒り、追いかけます。
最後は、黄泉と地上の境目である黄泉比良坂(よもつひらさか)で、大きな岩を挟んで向き合うことになりました。
伊邪那美命は言います。
「あなたの国の人間を、一日に千人殺してやる」
伊邪那岐命は答えます。
「ならば私は、一日に千五百人の子を産ませよう」
夫婦のなれの果てが、呪いの応酬になってしまった瞬間です。
そこに、菊理媛神が現れます。
菊理媛神が「何を言ったか」、古事記は書いていない

『日本書紀』の記述は、実にそっけないものです。
菊理媛神が何かを言い、伊邪那岐命はそれを聞いて、褒めて(あるいは受け入れて)、その場を立ち去った。
書かれているのは、それだけです。
内容は、一言も記されていません。
書き手が忘れたわけでも、書くのを省略したわけでもないでしょう。
むしろ、書かなかったことにこそ、意味があります。
もし菊理媛神が「あなたが正しい」と言ったなら、それは片方の味方をしたことになります。
もし「二人とも悪い」と言ったなら、それは裁きになります。
どちらであっても、伊邪那岐命は「言われた通りに動いた人」になってしまう。
でも、実際に起きたのは違います。
伊邪那岐命は、自分の意志でその場を立ち去りました。
争いを続けることも、正しさを主張し続けることもできたのに、そうしなかった。
「くくる」という言葉に託されたもの
菊理媛神の「くくり」は、「括る」に通じると言われます。
括るとは、バラバラのものを一つにまとめること。
対立する二つのものを、無理に一致させることではなく、同じ袋の中に収めることです。
白と黒をどちらかに決めるのではなく、白も黒も両方入る一つの袋を用意する。
そう考えると、少し肩の力が抜けないでしょうか。
「一括りにする」「まとめてくくる」——この言葉は、今も私たちの日常語の中に残っています。
千年以上前の神様の名が、今の暮らしの言葉にそのまま生きている。
それだけで、この神様が人と人の間でどれほど働いてきたかが伝わってくる気がします。
板挟みの場に立つとき、私たちはつい「どちらかを選ばなければ」と焦ります。
でも菊理媛神が示したのは、選ばないという選択肢でした。
白山比咩神社という場所

白山比咩神社は、石川・岐阜・福井にまたがる霊峰・白山への信仰を起源とする神社です。
古くから「越の白山」と呼ばれ、修験の山として、また農業に欠かせない水源の山として、人々の祈りを集めてきました。
水は、高いところから流れ下り、いくつもの支流に分かれても、最後は同じ川となって海に至ります。
菊理媛神が「くくる」神として、この水の山に祀られていることは、偶然ではないように思います。
分かれたものが、いつか一つに戻っていく。そういう力の象徴として、この山は選ばれたのではないでしょうか。
後の時代には「縁結び・和合の神」として親しまれるようになった菊理媛神ですが、その根っこには、あの黄泉比良坂の逸話がまっすぐにつながっています。
白山比咩神社そのものの参拝ガイドは、こちらの記事で詳しくお伝えしています。あわせて読んでいただけたら、菊理媛神という存在がもう少し立体的に見えてくるかもしれません。
白山比咩神社とは?|菊理媛神を祀る北陸の聖地。争いを水に流し、心に平穏を取り戻す参拝ガイド
古史古伝にみる、もう一つの菊理媛神像

古史古伝の一つ、『先代旧事本紀』にも菊理媛神に近い記述が見られると言われます。
ただし、こうした文献は成立の経緯や真偽について学術的な議論が続いており、記紀と同列に史実として扱うことはできません。
私自身は、こうした文献を「正しいか間違っているか」で読むのではなく、「なぜこの神様が、時代を超えて語り継がれてきたのか」という視点で眺めるようにしています。
記紀の外側でも人々の記憶に残り続けてきたこと自体が、この神様の役割の大きさを物語っているように思うのです。
白黒つけないという、もう一つの強さ

もしあなたが今、誰かと誰かの間に立って疲れているなら。
その疲れは、あなたが優柔不断だからではありません。
むしろ、両方の痛みを感じ取れる、ということの証かもしれません。
裁くことだけが解決ではない。
「くくる」というもう一つの道があります。
無理に白黒つけようとせず、両方をそのまま一つの袋に収めてしまう。
その袋を持つ役目を、あなたが引き受けているだけなのかもしれません。
答えを出さないことは、逃げることとは違います。
菊理媛神は、答えを出さなかったからこそ、二人の神を争いから解き放ちました。
それは、あなたにしかできない役目を、今まさに引き受けているということです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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