落ち葉掃きと心の整理|元神職が参道で知った、「掃いても元通り」の意味

落ち葉掃きと心の整理♀♀♀♀♀♀ 神道の心

朝、参道に出ると、玉砂利が見えません。

夜のあいだに落ちた葉が、絨毯を敷いたように道を覆っています。
春と秋、年に2回ほど、境内にはそんな朝がやってきました。

掃いても、掃いても、振り返ればまた落ち葉。
そんな朝に、私はいつも同じ言葉を自分に言い聞かせていました。

「掃くことに意味があるんだ」

この記事では、元神職として毎朝参道を掃いていた日々と、そこで出会ったご夫婦のお話を綴ります。
掃除が、ただの片づけではなくなっていった時間のことです。

落ち葉が絨毯のように玉砂利を覆った、朝の神社の参道

雪のように降る落ち葉|春と秋の参道

神社でご奉仕をしていた頃、落ち葉の季節は年に2回ありました。
春と秋です。

春に多かったのは、クスノキなどの常緑樹の葉でした。
常緑樹は、新しい葉が出る春に、古い葉を落とします。

秋は、イチョウや杉の葉が多く落ちました。

どちらの季節も、量は半端ではありません。
ちらちらと雪が降るように、葉が舞い落ちてきます。

朝、掃除を始める頃には、夜中のうちに落ちた葉が参道を埋めています。
玉砂利の姿が、見えなくなるほどでした。

穂の長い竹箒で、大きく円を描く

手のひらを広げたような形の、穂の長い竹箒

一般的な竹箒は、穂先を筆のようにまっすぐ切りそろえた形が多いと思います。

私の神社で使っていたのは、穂の長い箒でした。
手のひらをぴんと伸ばしたような形です。

そのため、掃くときは大きく円を描くように動かします。
この箒なら、落ち葉を一気に集められます。

玉砂利には、表面をなでるように当てます。
落ち葉を掃きながら、乱れた玉砂利も整っていきます。

掃いたところから、参道がみるみる元の姿に戻っていく。
あの感覚は、今でも気持ちよく思い出せます。

振り返ると、元通りになっていた

気持ちよく掃き進めて、ふと後ろを振り返る。

さっき掃き終えたはずの場所に、また落ち葉が敷き詰められている。

その瞬間、さっきまでの心地よさが消えました。
「今まで掃いてきたのは何だったのだろう」と、心が折れそうになります。

そんなとき、私はよく自分に言い聞かせていました。

「掃くことに意味があるんだ。綺麗にならなくてもいいんだ」

「祓いにはじまり、祓いに終わる」

神道では、「祓いにはじまり、祓いに終わる」と言います。

参道を掃くことは、参道を清めること。
つまり、参道をお祓いしているということです。

だから、掃いた先からまた元通りになっても、「意味がないからやめた」とはしない。
たとえ元通りになってしまおうとも、最後まで掃ききる。
そこに意味があるのだと、私は受け取っていました。

もちろん、参道が綺麗になっているに越したことはありません。
けれど、そうならない日もあります。

落ち葉のない日も、箒を持って参道へ

逆に、ほとんど葉が落ちていない朝もあります。

それでも私は、参道を掃きに行きました。

前の日は、一日中、参拝の方が行き来した道です。
玉砂利が乱れている場所もあれば、細かい枝や木の実がぽつぽつと落ちていることもあります。

これから参拝される方に、気持ちよく歩いていただくために。
参道のお清めと点検を兼ねた、掃き掃除でした。

朝の1時間と、老夫婦の声

朝から始めて、1時間ほどで参道を掃き終えます。

竹箒を担いで社務所へ戻る途中、毎朝参拝される近所の老夫婦とお会いしました。
いつも、声をかけてくださるのです。

「とても綺麗にしていただいて、ありがとうございます。いつも気持ちよくご参拝させていただいています」

その一言で、報われたような気持ちになりました。

半年後、涙を流してくださった朝

朝の参道を並んで歩く、老夫婦の後ろ姿

その神社を離れて、半年ほど経った頃のことです。
お手伝いに戻る機会がありました。

長く続けた習慣は、簡単には抜けないものですね。
他のお手伝いの方より早く起きて、参道を掃いていました。

そこへ、あの老夫婦が参拝に来られました。

「やっぱりあなただと思いました。こんなに綺麗にされるのは、あなたしかいないと思っていました」

そう言って、奥様が涙を流しておられました。

懐かしさと、そこまで覚えていてくださったことへの嬉しさで、胸がいっぱいになりました。

それから数年後の朝

話には、続きがあります。

その後、何年もその神社へ行けない時期が続きました。
4、5年ほど経った頃、久しぶりに訪れることになりました。

その朝も、私は早く起きて参道を掃きに行きました。

掃いていると、旦那様が声をかけてくださいました。

「前ここにいらっしゃった方ですよね」

「はい。ご無沙汰しています」

そう答えて、私は奥様のことをお尋ねしました。

奥様は亡くなったと、旦那様は話してくださいました。
とても切ない気持ちになりました。

私は、その思いをかみしめて立ち止まることはしませんでした。
切ない気持ちを隠すように、そのまま参道を掃き続けました。

参道を掃いていたことが、ご近所のご夫婦とのご縁をつないでいた。
そして、こんなにも長い間、覚えていてくださった。

掃いている間は、無心だった

毎朝の掃き掃除は、すっかり習慣になっていました。

「今まで掃いてきたのは何だったのだろう」と心が折れかけた日も、箒を動かし始めれば、掃いている間は無心でした。

あの朝も、同じだったのだと思います。

箒を動かしているあいだに、頭の中も落ち着いていく。
毎日続けた習慣が、あの朝の私を支えてくれていたのかもしれません。

玄関先を、5分だけ掃いてみませんか

箒の跡が細く残る、掃き清められた玉砂利の参道

玄関先でも、ベランダでも、近くの神社の参道の端でも構いません。
箒を持って、5分だけ外に出てみてください。

綺麗になってもならなくても、掃いたあとは、空気が少し変わります。

あなたには、手を動かしているうちに、頭の中が落ち着いていく時間がありますか。

次に神社を訪れたら、参道の砂利に残る箒の跡を、探してみてください。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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