神社の祭典のあと、神職も総代も全員で一礼一拍手をして、「いただきます」と声に出す時間があります。
食事の前の言葉が、どうして神事の一部になっているのでしょうか。
妻から聞いた、ヤギのいなくなった朝の話と、神社で見てきたこの場面は、私の中で一つにつながっています。
この記事では、その二つを並べながら、食卓でできる一番小さな神事について書いてみます。

妻が泣いた、ヤギのいない朝
妻は沖縄の出身です。
今ではほとんど見かけなくなりましたが、昔の沖縄には、自宅でヤギを飼う家庭がよくあったそうです。
妻の祖母の家は、沖縄でも田舎のほうにありました。
その頃でも、祖母はヤギを飼っていました。
動物が好きだった妻は、祖母の家によく遊びに行き、ヤギを可愛がっていたそうです。
ヤギのほうも、すっかり懐いていたといいます。
ある日、親戚の家にお祝い事がありました。
何のお祝いだったのかは、妻はもう覚えていません。
親戚一同が祖母の家に集まり、にぎやかな宴になりました。
美味しいものが次々と出て、楽しかったことだけは覚えているそうです。
その夜は、みんなで祖母の家に雑魚寝をしました。
「昨日みんなで食べたじゃない」
朝になって、妻はいつものようにヤギのところへ向かいました。
けれど、そこにヤギはいませんでした。
祖母に「ヤギがいないよ」と伝えると、返ってきたのはこんな言葉でした。
「何を言っているの。昨日みんなで食べたじゃない」
沖縄の方言で、当たり前のことのように言われたそうです。
妻は悲しくて、泣きじゃくりました。
可愛がって、懐いてくれていたヤギを、自分も食べていた。
子どもだった妻にとって、それはすぐに受けとめられることではありませんでした。
笑って食卓を囲んだ昨夜と、泣いた朝。
どちらも、同じ家の同じ出来事でした。
店先では見えなくなったもの
私たちが口にするものの、ほとんどは命あるものです。
肉も魚も野菜も、生きていたものをいただいて、私たちは生きています。
けれど今は、多くが加工され、パックに入って店頭に並びます。
命をいただいているという実感を持つ機会は、少なくなりました。
昔は、ヤギや鶏を自分の家で飼い、糧にしていました。
食べ物になる場面を、子どもでも間近に見ることがあったはずです。
ヤギが食べ物に変わるその場面を、子どもだった妻は、目の前の出来事として受けとめるしかありませんでした。
店先からは見えなくなったものが、あの家には見えていたのだと思います。
「いただきます」という言葉
「いただく」は、漢字で「頂く」「戴く」と書きます。
もともとは、物を頭の上に捧げ持つ動作を指す言葉とされています。
「いただきます」は、料理を作ってくれた人、食材を育ててくれた人、そして食べ物になった命への言葉だと説明されます。
解釈は一つではありませんが、神社の直会で、この言葉が声に出される場面に立ち会ったことがあります。

神饌は、調理するところから祭典が始まる
私が奉職していた神社では、神饌を調理するところから祭典が始まりました。
祭典の前日から参籠をして、調理の当日は、火切具で火を起こすところから始めます。
その火でお米を炊き、餅米を炊いてお餅を作ります。
参籠した神職が昔ながらの方法で起こした火には、神様が宿ると信じられてきました。
神饌は、調理の方法もお供えの仕方も、一つ一つ決まっています。
魚は、お腹を御神前に向け、頭は中央に向けます。
果物は、地面に近い、美味しいほうを御神前に向けます。
魚も果物も、もとは命です。
その命の、いちばん美味しいところを神様に向ける。
この決まりを、あなたはどう感じるでしょうか。
日本書紀には、保食神(うけもちのかみ)の亡骸から、牛や馬、粟や稲などが生まれたと伝えられています。
食べ物は命から生まれるという感覚は、古い神話にも描かれています。
▶ 保食神(うけもちのかみ)とは?”食べること”が神話になる日本人の感覚を読む
田んぼのそばのテントで、全員で「いただきます」

お供えした神饌は、祭典のあとに下げられ、人々がいただきます。
これが「直会(なおらい)」です。
私の記憶に残っているのは、抜穂祭だったと記憶しています、田んぼのそばの直会です。
田んぼの近くに斎場を作って祭典を行い、そのすぐ近くにテントが立っていました。
祭典が終わると、祭典を行った装束を着けたまま、そのテントに入ります。
テントの中には、机とパイプ椅子が並んでいます。
祭典に奉仕した神職、その田んぼの持ち主、神社の総代たちが、順に席に着きます。
直会が始まるとき、誘導する神職に合わせて、全員で一礼一拍手をします。
そのあと、声に出して「いただきます」と言ってから、いただきます。
最初にいただくのは、杯のお酒です。
これが作法でした。
そのあと、お供えした神饌をいただきます。
まだ暖かい時期だったので、スルメや昆布、干した魚などの乾き物が多かったことを覚えています。
直会は祭典の一部なので、10分か15分ほどで終わり、解散になります。
作法は神社ごとに違いますが、私の神社では、このようにしていました。
包んで持ち帰った神饌と、祖母の家の食卓
直会のあと、残った神饌は、包み紙と一緒に配られました。
それを包んで家に持ち帰り、家族にも食べてもらう。
神様の恵みを分けていただくのが、私の神社の慣わしでした。
お供えした命を、その場にいた人だけでなく、家で待つ家族とも分ける。
祭典は、田んぼのそばのテントで終わるのではなく、それぞれの家の食卓まで続いていました。
秋祭りの直会では、お互いの労をねぎらいながら、豪快に笑ってお酒を飲んでいました。
神社の祭りの席にも、笑い声はありました。
▶ 秋祭りの様子は、こちらの記事に書いています
「またあんたらかー」と笑われた、実家の神社の秋祭り
命をいただかずには、生きていけないから
妻には、一時期、牛や豚のように、私たちに近い動物の肉を食べないようにしていた頃がありました。
今は、それも違うと感じているそうです。
牛や豚は私たちに近いので、命をいただいているという実感を持ちやすい。
けれど、野菜などの植物も、私たちが食べるために命をいただいています。
それも食べなければ、私たちは生きていけません。
食べないという選択が、悪いわけではないと思います。
ただ、命をいただかずには生きていけないのなら、いただくことに心から感謝を持つこと。
そして、いただいた命に恥ずかしくないように生きていくこと。
そちらのほうが、私たちには大事なのではないかと思うのです。
あの朝の、泣きじゃくった妻に、祖母が言った「昨日みんなで食べたじゃない」という一言。
その意味が、今の私にはほんの少しだけ、わかるような気がしています。
明日の食卓で

神社にいなくても、食卓で同じことができます。
手を合わせて、「いただきます」と声に出す。
ほんの数秒のことです。
▶ 家庭に神棚がなくても、祈りは日々の暮らしの中にあります
神棚がない家でもできる祈りの整え方
明日の食事で、「いただきます」と言う前に、一つだけ思い浮かべてみてください。
今日の皿の上の食べ物は、もとはどんな姿をしていたでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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